村の収穫祭とシラモ
もうずいぶん時間が経ったけれど
今年も収穫の感謝をお祈りする村の秋祭りも終わり
無事に村の収穫祭を迎えることができた。
村5軒のみんなと、『ふるさとラボ大賀』の首都圏メンバーも一緒に一献。
詳しくはふるさとラボ大賀の大臣官房統計部数理官中田哲也さんが
毎回ブログにて丁寧にまとめてくださるので
是非お読みくださいませ。
http://food-mileage.jp/2018/11/17/blog-158/
ふるさとラボ大賀の首都圏メンバーはもう7、8年前から年に何度も
大賀普門庵で宿泊、米づくり、村の草刈りなどをとおして交流。
関係人口という言葉が出てくるよりずっと前からの長い交流活動歴。
住人のわたしよりもずっと大賀歴が長く、詳しい!
首都圏や金沢など、メンバー約30人ほど。
わたしと同世代も多く、個性的、多趣味、
おもしろい仕事やイベントをしていたり、濃厚キャラ。
離れていてもSNSやメッセージで
大賀に心を寄せてくれていることを感じられて
精神的にも大きな支えになっている。
今年は村の収穫祭は鴨汁と折詰。
村の女性は家庭料理を重箱に詰めて持っていく。
首都圏メンバーはお魚センターでお刺身などのご馳走。
わたしは大好物のシラモのお酢の物と
畑で採れた伯爵カボチャとレーズンのサラダ。
今日はシラモについても書こうと思う。
シラモとの出会いは4年前。
実家岡山から新潟へ戻る時立ち寄った備前の道の駅で初めて見た。
海藻好きなので迷うことなく売り場に残っていた3袋購入。
調理方法が書いてあり、その通りやってみるとシャキシャキおいしい。
娘も「シラモ~♡」と言って食べるけれど岡山でも備前周辺のみの郷土料理。
仏様のご馳走と呼ばれ、お盆や法事などの時につくられるらしい。
昨年は不漁だったということで一袋も買えなかった。
今年の5月の帰省の際は、備前の漁協や道の駅、スーパーにも問い合わせしたけれど水揚げも取り扱いも全くなし。
シラモをとっていた漁協の女性部も解散したと言われてひどく落胆した。
新潟へ戻る前日、執念深いわたしはネットの画像検索で辿り着いたところへ
メールで連絡して、直接向かうことになった。
そこは瀬戸内市邑久町尻海。
雨だった。
牡蠣の稚貝を付着させるホタテがたくさん積まれていた。
穏やかな海に浮かぶ島々、わたしのふるさと瀬戸内海。
コラボラボの笠井さん、手を振って待っていてくれた。
岡山弁でシラモ愛を伝えた。
「ままかRe:Project」http://mamakari.kkhr.jp/
「旅ぐるたび」https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1167/
交渉成立、シラモはあるだけ購入させていただいた。
ホタテを撮影していたらたまたま外で作業していた
牡蠣漁師の川野さんにもお話をきくことができた。
サラリーマンをやめて牡蠣漁師になったこと。
牡蠣筏をつくる職人さんがいなくなり、自分たちで
つくるようになったこと。
川野さんの牡蠣はどんな味がするのだろう。
故郷の岡山のこんな素敵な場所に
こんな素敵な人が暮らしていて
素敵なものを生みだしていること。
シラモがつないでくれた縁。
今年の年末はまた笠井さんと川野さんに逢いに尻海へ。
今まで牛窓の牡蠣を取り寄せていたけれど
この冬から川野さんの牡蠣を食べたいと心から思う。
もんぺ製作所をはじめて思うけれど
好きなものを追いかけて行った先で待つ出逢いがたまらなく愛おしい。
日本家政学会でノートルダム清心女大の関係者の研究発表の記事
江戸時代,シラモは西日本の日本海沿岸,瀬戸内沿岸の11ヶ所に自生していた。食習慣については, 仏事の供物や客膳料理として使用される習慣が,岡山県南の備前地方と山口県北浦地方にのみ伝承されており,これは聴き取り調査結果と一致するものであった。 すなわち, 江戸時代には西日本の広い地域に自生がみられたシラモは, 現在ではごく限られた地域の食習慣となってしまった。
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